そあれといっしょ

日記を書きます

お散歩の記録1

私ではない皆様、どうもです。

去る2月28日。私は誕生日だったわけですが、冬の終わりに生を享けた私は春なのではないかと、ふと思い立ちました。例えばふわふわと現世を彷徨う様は綿毛、ではないですね。ほぼ埃です。今日も部屋の隅でここぞとばかりに過ごしています。

私事ですが適応障害と診断されて仕事を休職しており、少しの間はより一層部屋の隅で暮らすことになるでしょう。

できるだけ外に出たいナア、でも薬飲むと注意力落ちるし不安もあるナア。ということで、一旦以前行ったお散歩の記録をまとめることにしました。

 

~~~お散歩の記録~~~

 

@気力があったらアイキャッチを描いて入れる@

@↑気力なかったです@

 

この日のお散歩ルートはこんな感じでした。

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たまたま聖蹟のあたりにいたので聖蹟桜ヶ丘駅から近くの公園を回ろうと計画。あとは私の人生とは交わっていないけれども、ここから物語を始めた友人が複数いるバス停が近くにあったのでそこにも行きました。

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(永山五丁目のバス停。ゲーム「アイドルマスター シャイニーカラーズ」で、プロデューサーが浅倉透さんと出逢う場所らしいです。)

大体12kmくらいのお散歩ですが、このあたりは色々な作品の舞台なのでなんでもない場所にも見覚えがあって楽しかったです。

 

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ここからは今回のお散歩で見つけた良いものたちを写真で振り返ります。文章は数週間後に写真から読み取った当時の私の思考を脚色して書いています。

 

まずはこちらです。

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なんですかねこれ。下の部分が回るので回転遊具の軸かなと思ったのですが、軸だけ残す?という疑問があるのでこういう遊具かもしれないです。

子供の頃の真っ直ぐな目をした私なら、これをどう使って遊んだでしょうか。小学校6年生にして滑り台のブームが来ていたあの頃なら、この問題に解を与えられたかな。

全力でブランコを漕ぐ人の動画とともに「これお前ですか」と妹から連絡が来るくらいには公園の遊具が好きな私ですが、これは童心の活性化によって私の枯れた生命が少し潤うような気がするからです。

よく分からない遊具に知育欲が刺激され、偶然にも老化を回避するという一般的なお散歩の目的も果たすことができて良かったです。

 

続いてはこちらです。

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"もえるもの" と書かれた植木です。ベンチを挟んで反対側に "もえないもの" もあったので多分ゴミ箱の転用なのかなと推測しますが、植物を萌えるものと表現することになっていてちょっとお洒落です。萌えないものとされてしまった方の植物も空間が捩れるようで良いですね。

ピクシブ百科事典には「萌え禿げた」という言葉が載っています。

栄枯盛衰が一語中にまとまっていて面白い言葉だなと思っていましたが、似た用例に現実で出逢えて嬉しかったです。

死んでいないだけで別に生きてもいない私の状態にも似ていて、空間と私の浸透圧が等しいような、精神のスポーツドリンクみたいな、そんな感じがしました。

 

続いてはこちらです。

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これから自然に還ろうとしているベンチです。明らかに埋まりすぎているので使われていないということが見て取れます。

数千年後このベンチが発掘されたとき、当時の生活様式が分かる遺構の一部だと判断されると思いますが、実際は使われていないので一部間違った歴史が後世に伝わることになります。

実際の遺跡にもこういう例はあるんだろうなと思います。マチュ・ピチュとかも実は全く使われていない、義務で作られた小さい公園みたいな存在だったかもしれませんね。

よく分かっていない物事には好き勝手言っていいの精神で生まれた言説がこの世にはたくさんありますが、完全な間違いではないよと後世の人に伝えるような気持ちで少しだけ座っておきました。

 

最後はこちらです。

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行き止まりの階段です。多分工事か何かで塞がれているだけだと思いますが、そうでなかったら本当に意味のない場所です。

行き止まりの道は示唆に富んでいて面白いですね。区画整理失敗したのかなとか、私有地のトラブルがあったのかなとか。世界のうまく回らない部分を身近に感じることができて好きです。

私の脳がよくエラーを吐くように、人間1人でも成り立たないのに世界が成り立つ訳もありません。あらゆる物事が失敗しているのに不思議な力でなんとかなっているように見えている、行き止まりの先には陰謀論の入口がありました。

論理を飛躍させながら階段を降りてみますがやっぱり何もありません。もし世界に不思議な力があるのなら、マリオ64のあっちっちさばくの入口みたいな、何かあるタイプの行き止まりもどこかにはあってほしいです。

 

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以上です。撮っていた写真はまだまだありますが、考えないと文章が出てこなかったのでこのくらいで。この日記は脊髄から出た言葉だけをまとめています。

最近は暖かくなってきたのでまたお散歩に行きたいですが、病気の影響か体力が落ちているようで少し行動するだけで疲れてしまいます。

今にして思えばここ一年くらい実害あるタイプの体調不良が続いていたのもずっと適応障害入っていたのかなとなるので、一年分の疲れを受けているような気がします。世が平安時代とかなら呪いとして扱われていたでしょう。

なので一応元気ではあるのですが、憑き物が落ちるまでは社会的意義のないことをしながらゆっくり休ませてもらいますね。

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(元気橋の写真)

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(落ちていた憑き物の写真)

 

それでは、私でした。

 

 

雑記のお百

 

春、感じていますか。

雨の日多くて家から出ないし、あとやっぱり心に余裕がなくて私はあまり感じていません。

そあれです。

 

春は気候に強い特徴がないので暑くなるまで意識の外かも。

物寂しい冬のままの感性でいると通常にプラスして老いていきますね。

夏が始まった時のダメージでよりシワシワにならないように頑張って季節に追いついていきましょう。

 

 

新生活が始まりました。

この度新社会人になりまして、人間関係の諸々に震えております。

これまでは自分から世界を閉じて後のストレスを回避していましたが、社会って世界閉じちゃ駄目みたいなんですよね。

それでいてストレスを悟られてもいけないので最初から難易度が高いです。

コミュニケーションによって得られる益がストレスを与え合うlose-loseな関係と面倒な読み合いに勝っている実感が私にはないので、どうしても難しいという考えが抜けません。

いや勿論大切だとは思うのですが物事は二律背反なので良い側面も悪い側面も語らなければいけないと思います。「これめっちゃいい」「絶対必要」「とりあえずやれ」では宗教になってしまうので。

とはいえこういうときに定義から確認して後ろ向きな意見を出していたら絶対停滞するので、世の中にある前に進んでいるように見える物事はすべて宗教です。

今、貴方も、宗教活動に加担しているんです。

覚えておきましょう。

 

あとは自由に使える時間の話。

もともと結構時間の使い方が下手な方というか、社会的意義のない活動をメインに時間を割いていたのでむしろ勤務時間の分生活は整っています。単位を取り切って就職活動も終わった大学四年生の何物でも何者でもない無為な時間よりかはよっぽど健全。

ただ趣味に充てられる時間が減ったのはその通りで、すでにブログの更新が滞っていますしTRPGに使うキャラクターの立ち絵も描けていません。

長時間お風呂に入ることはできますがそれで倒れた場合のリスクが大きすぎるので現状私の趣味と言える活動のすべてが封殺されています。

私は小手先の美容と健康が好きなのでまだ耐えられていますが、新社会人の3割くらいがそうだと思われる、薄暗い部屋でケミカルに光る機材を用いて爆音のゲームをするのが生きがいみたいな人たちは今頃末梢から砂になっていることでしょう。

そうでない自分でも充実しているのに何かが削れている感覚はあって、これが続いて新社会人が均一化されていくのはちょっと気持ち悪いですね。資本主義と共産主義の悪いところだけ食べさせられているみたいで。

パーソナリティの尊重とかが世界的なトレンドになっていても団体にとって個性が邪魔であるという事実は変わりようがないため、人類全員が人権意識レベル100の個人事業主みたいな世界でもない限り色々な思想って実現しないんだろうなと思いました。

私は精神が人間の本体だと思っている側なので外傷がなければ大丈夫みたいなことが許容されるようであれば出るとこ出てやるぜという気持ちでいますが、尖った部分を丸くするのが上手な社会だから長い歴史があるわけで。

周りが全員レゴブロックになっても私だけは気高くいたいですね。

 

 

いやーーー私が社会人ですよ???

どうしてこんなになるまで生かしておいたんですかね。社会にとっての損害は社会が生んで社会が育てたんです。そして社会が自害を阻んでいる。厄介なことです。

厄介といえば人間関係での読み合いが面倒なので押し付ける側になるために最初から自分のパーソナリティをノーガードで開示しているのですが、これ会社の人にやるの良くないんだろうな。

ハマった人からはこんな情報まで私に!?って信用されて、ハマらない人は初手で切ってくれるので結構便利でついやってしまいます。

諸々の特定に繋がりかねない情報をすでに数人に喋ってしまった気もしますが気を付けていきたいです。

 

もう更新が遅れることには何の感情もない。

精神を太らせることはこれからを生き抜くうえで重要だから。

それでは、そあれでした。

 

 

 

 

滅鬼雑記

 

全然間に合わなくてウケますね。

自分で定めたルールを守れなかったときに別にいいかって思ってしまったらその瞬間から人間は腐敗していくので気を付けなければなりません。

そあれです。

 

まあ私の場合日頃の言動のせいで日記の更新が途絶えると生命を案じられてしまうというのもあります。以前一週間くらいツイートしなかったらちゃんと心配されてしまったことがありました。

ただ私は贅沢な死にたがりなので死に方は選びたいんです。身も心もきれいな人間のまま死にたい。腐敗も老化も耐えられない。

今、今生命を止めてくれ。頑張るな心臓ーーー

 

そういうわけで死ぬときはちゃんと準備して死ぬので蒸発みたいなことにはならないと思います。心配しないでね。

そもそも心配させるような言動をやめろって話ですがネガティブが固執されてもうアイデンティティみたいになっているので無理なんです。どうすることもできない。

無理を通せたらそれはもう無理じゃないので。

いかに無理を通さなければならないような状況を回避するかが人生だって誰かが言っていたような、いや言ってなかったかもしれません。

 

 

さて、私は別に人生に絶望しているわけでも無気力なわけでもないです。

やりたいことだってあります。

所ジョージになりたいし天才てれびくんに出たいし、ヒステリックブルーを聴くときにどうしてこんなことに。。って思うのも辞めたいです。

ja.wikipedia.org

 

ただ、やりたいことがあるということと死にたいということは同居します。

最近では『死にたいけどトッポッキは食べたい』ってベストセラーもありましたが、死にたいと思うこと事態は (あれ食べたいな) くらいの感情でしかないんです。心の痛みこそ本物だけど特別なことでは全くない。

誰しもが偶然死を選ばなかったから生きているだけの話。

なので以前普通の人は死にたいと思わないので死にたいと思った時点で鬱です、みたいな言説を目にしたときは不思議な感情になってしまいました。

 

こんなにも身近で避けられないものである死を遠ざけようとする意味も分かりませんし、人間もっと死に寛容であれと思います。

現状どうすることもできない重病者の安楽死でもあれだけ議論されているように、現代では生の強要の方は問題になりづらいんです。

自死を否定する人が生について考えたうえで言っているのかは私にはわかりませんが死を問題にするなら同時に生の問題にも触れるべきでしょうし、やっぱり死だけが悪く言われているともやもやしますね。

最近のインターネットでは ""生きててえらい"" という我慢して仕方なく生きている人間同士の生暖かい悲哀をよく見ますが、これが ""生きてるのがそんなに偉いか"" に変化する瞬間も近い気がします。

 

脱線してしまいましたがやりたいことあっても死にたくなるんだから無理せずにということですね。楽しいことが負担になったらいよいよなので〇〇したいから死ねないみたいなのも良くないです。

結局私たちは停滞しながら緩やかに死んでいくことしかできないので一部分切り取っていい感じになったら相当いい感じだと思いましょう。

 ""あきらめが肝心"" が世界一の至言らしいです。

努力しなくていいわけではないですけど。

 

 

やっっっと更新できる。

いやほんとハチャメチャに忙しくて砂漠の砂みたいな肌にハイパー眼精疲労、常在菌が死滅したかのような胃腸の不調の中なんとか書き上げた虚ろです。

私のする死の話の7割くらいは時間もないし言えることもないからこれでいいかという妥協で塗り固められているので本当に無為な文章なんですよね。

後から自分で確認するために書いている日記にこんな無味乾燥を残してどうするんだという後悔の念も、、ないわ。

うん。日記にそんな万感の思いとかなかったです。

このゆるゆるをインターネットに放逐することで何かが弛緩されて世界の重要な部分のバランスが奇跡的に保たれていると考えながら、これからも投棄していこうと思います。

私は地母神(アースマザー)なので。

 

それでは、アースマザーでした。

 

 

 

 

アルベルト・雑記ローニ

 

忙っし

急に色々な手続きが発生していてままならない。

嫌~~~

そあれです。

 

電話が本当に嫌。

大事な話を一気に喋らないでほしい。メモはするけど追い付かないし自分がメモしたことが全然本質じゃないこともあるので。

世の営業の人は伝わりやすい話し方とかを研究されていると思いますが電話という形式をとられている限りちょっと駄目みたいです。

完全に私が悪いんですけど、こういうものが必要になるので後で回答してねくらいの電話にとどめて一回全部テキストで送っていただけませんか。。

努力が活きない相手に対応するのは精神的にも良くないと思いますし、すべてを伝えてくれているのに私の理解が追い付かなかったせいで営業の人の経歴に傷がつくのは本意ではないので。。

お願いします。営業の人、営業の人の上司、あとなんか論客みたいな人。

社会を、変えて……!!!

 

 

閑話休題

 

 

先日運転免許の更新に行きました。

私は取ってから一度も車に乗っていない光のペーパードライバーなのですが初回の更新って違反者と同じ時間講習受けるんですね。2時間。

長すぎて闇のペーパードライバーになるかと思いましたが大学で授業を受けなくなって久しいのでなんだか懐かしかったです。

また自分の好きなことを学びたいですが社会人になったらそういう機会も失われていくのかなと悲観。体力と気力が残っていたら手を伸ばしたいですが元気いい自分のイメージが全く浮かばないので多分無理でしょう。

あと2か月で私も鬱労者(うつろうもの)です。

PlayStation用ゲーム『ブレス オブ ファイア Ⅳ  うつろわざるもの』カプコンより好評発売中。

www.capcom-s.jp

 

講習では良いこともありました。安全運転の啓発映像を見たのですがそこに映っていたんですよね。「サークルK」の看板が。

サークルKといえば2018年にファミリーマートと統合して消えたコンビニです。別に思い出とかはないんですけどオレンジ・赤・紫の目に優しくないコーポレートカラーが強く印象に残っています。

久しぶりに見たサークルKも相変わらず色強くて笑ってしまいました。あんな色強いのが運転中視界に入ったら事故ってしまうと思うので安全運転の啓発映像に乗せるにはぴったりのコンビニです。

あと最近ファミリーマートの靴下ってあるじゃないですか。

www.family.co.jp

これだけでも結構面白いんですけどサークルKバージョンが出たら面白すぎて履くだけで社会の人気者になれるマストアイテムになると思うので商品開発部の皆さんよろしくお願いします。

お笑い芸人とかは色強すぎてノイズになるから履けないため社会の人気度が一律になる最強の靴下です。

あとキテレツ大百科のオタクも履くかもしれないですね。サークルKのロゴがキテレツの帽子のマークに似てるってニコニコ大百科に書いてありました(そうか?)。

 

 

今月は色々な手続きによって日々精神をすり減らして小さな幸せを取りこぼし続けた結果、サークルKの色の強さしか話題が思いつきませんでした。

審美眼曇りすぎてちょっといけないので一回どこかで疲れとかストレスを全部発散しないといけないなと思っています。

ピニャータとか割りたいですね。すごい蛍光色の馬を天井からつるして棒で叩き続けるあれです。馬の中にお菓子とかおもちゃとか子供の夢とかが詰まっているあれ。

英語で臓物のことをファンシーミートと呼ぶのはピニャータが由来らしいです。嘘です。

でもコロコロコミックの商品紹介ページでiOSのアプリが取り上げられる今っておもちゃ何入れるんですかね。

そもそも今の子供おもちゃとか使って遊ぶのか?もしかして世の中のホビーって完全にコレクター向けの商品でしかなくなってます?

 

……

コロコロコミックのターゲット層ってもう完全に大学生以上らしいです。嘘です。

でも『MINI4KING』は最高の漫画なのでみんな読んでください。これは本当です。

youtu.be

グリス・マッケンジーという最高のキャラクターがいるのでみんなで語り合いましょう。

それでは、そあれでした。

 

 

 

 

雑記ニア

 

いつも「令和3年」をご利用いただき誠にありがとうございます。

この度「令和3年」は、2021年12月31日 23:59をもちまして、サービスの提供を終了させていただくはこびとなりました。

これまで「令和3年」をご愛顧いただき、お楽しみいただいているお客様へ、多大なご迷惑とご不便をおかけすることになり、誠に申し訳ございません。何卒ご理解ご了承くださいますようお願い申し上げます。

そあれです。

 

今年も失ったものの多い一年でしたね。資産決済に関する法律第二十条第一項に基づいて補填してほしい。

払戻し申請フォームはどこですか?

 

 

一年間お疲れさまでした。例によって一年を過ごした実感はないですがこれが一年分の疲れだと言われたらそんな感じはしますね。

生きた年月が長くなるにつれて疲れでしか自分の行いを認識できなくなっていくんだろうなと。自分のやっていることの正しさも面白さも、すべての判断ができなくなって、ただ体に残った疲労だけで安心して眠るようになって。

疲れていない状態に不安が止まらなくなって自ら混沌に身を置いて、笑顔のまま過労で死んでいくんだろうなと、そう思います。

こうなるのが怖くて仕方ない。

 

例えば私は自分の思考について、ある程度の信頼を持っています。世で活躍する表現者様方と比べれば劣りますが、それでも豊かな世界を持っていると、そう思っています。

そして自分が現世を生きている実感をはっきりと持つことができていない現状、私の存在を証明できるものはこの世界だけなのです。

思考を止めてしまったら、私は

 

とまあ自我の崩壊って結構身近にあるんですよね。

死が怖いのも自我があるからなので自我の崩壊には死より上位の恐怖があるはずです。

なのに疲れを感知して動いているだけの状態って自我がないことが良しとされているんですよ。もしかしたら死を超越した超上位存在になったということなのかもしれないですけど。

いや怖すぎるって。

 

私という “全体” から思考や肉体などの “部分” が切り離されている状態、切断した四肢はもう四肢ではないみたいな話が人間で起こっているんです。

もし全体が部分の総和に過ぎないならすべてが虚構・名前だけの存在で、この世に実在するものはひとつもないというメレオロジー的なニヒリズムが、不定形な世界で実在しないものが動いているという状況が、いつの間にか肯定されているかもしれないということです。

 

なんかもう私の存在がどうとか小さい話に感じてきましたね。

もしかしたら人権活動家が求める平等ってこれか?

 

 

今月は以上ですね。

先月の文章が軽かったので今月は少しだけ重くしてみました。やっぱり年末から新年にかけて起こる事象といえば体重の増加ですから。

毎年正月太りという言葉を聞きますが、正月って食べなければならない場が存在するので太るやつが悪い論は3割くらい違う気もします。クリスマスを持ち込んでいたら1割になりますが。

年明けの瞬間逆立ちしていたりジャンプしていたりする人の真実も多分ダイエットだと思うんですよね。あんなに使い古された儀式をおもしろでやっているわけがないので。

一年の計は元旦にありなんて言われている中おもしろであれをやっている人がいるとすればそれは一年間滑り続ける覚悟を決めた猛者です。

 

まだ早い。簡単に一年を棒に振るのはよくないと思う。

良いお年をお迎えくださいって言うけど良いお年を迎えられるかどうかは結局当人の努力次第ですから。良いお年をって言ってくれた人の顔に泥を塗るような行為をしていると自覚しながら年明けの瞬間にジャンプするならいいです。

年明けの瞬間は一緒に謝罪をしましょう。森羅万象に謝罪をして今年の禍根をすべて祓った状態で来年に向かえるように。。。

 

 

社会に出てもずっとこういうこと言ってたいので2022年も私をどうぞよろしくお願いいたします。

それでは、そあれでした。

 

 

 

 

雑記ンガム宮殿

 

いよいよカレンダーが最後の一枚。

あの一枚が散るときに私も一緒に行くわけです。

O・ヘンリー作、最後の七曜表

ちょっと無理しすぎですね。

そあれです。

 

この流れだと部屋の壁にカレンダーの絵を描くことになってしまう。

 

 

さて、11月はバタバタしてたら終わっていました。というか今年自体バタバタしてたら終わった感覚があります。

もうすべての月を師走と呼ぶべきだと思いますね。

日々死について考え世を憂いているという点において私は僧侶に勝っていると思うので私が忙しかったらそれは師走というべきなんです。

いや私走(しわす)にしましょうか。

これから少しずつ僧侶の座を奪っていこうと思うので首と首以外を洗って待っていてください。

様々な物事の境目に立つハイパーマージナルな存在の私が神と人間の境目に立つ僧侶に挑む。

年末なので架空の異種試合番組を考えようのコーナーでした。

 

 

閑話休題

 

 

今月は引っ越しをしていました。

卒業要件を満たしているので学校に行く用事がないということでアパートを退去して現在は地元の方に帰ってきています。

引っ越しでは特段変なことはなかったのですが先に荷物を運んだので一週間ほど物の少ない部屋で過ごす段階がありました。

これがね、すごく精神不安定になるんですよ。

人間はファッションや趣味などの付加された情報によって存在が固まると思っているので素の状態って私の中でぼやけたように見えているんです。

なので知らない人とはN・グロー・モスみたいなものが蠢いているって思いながら交流しているわけです。この空間にN・グロー・モスが300体、ふふ……グロー・モスさん……みたいな感じです。

www.db.yugioh-card.com

私の服やら本やらがなくなった部屋において私の存在はよくわからない靄状の何かが人間の輪郭をしているそれでした。

これまで武装してやっと生活できていたところを急に武装解除されて成り立つわけがないんです。

コンビニの自動ドアが開くことでどうやら存在するらしいということを確かめるしかできません。

アイデンティティの崩壊なんてものは簡単に起こって私のような自分の中にしか燃料がないタイプの人間はそれが直接機能不全につながるということを実感しました。

人間って脆い生き物ですね。

 

駄目にならなかったらやりたいことはあったんですよ。

行ってなかった場所に行くのは勿論、どうせ最後だからメントスコーラとかで部屋を滅茶苦茶にすることもできました。

人生の中で遠慮なくメントスコーラできる時間って本当に一握りしかないので貴重なチャンスを逃したなあと思います。

もう小規模なメントスコーラに癒しを求めるとか朝の通勤時間帯にスーツ姿でレジに持っていくとか婉曲したオモロを求めることしかできません。

語り部も言うでしょうね。

表現が縮んでいく様はまるで社会のようでした、と。

私が駄目になって表現の勢いがなくなったことが社会の縮図ということは、逆説いま社会は駄目になっているということですか!?!?!?

こういう突飛な転換から陰謀論者になるんだろうな。

これは、ロゴスとパトスの戦い。

 

 

今月は以上になります。

今回はできるだけ死の話をしないことと、最近発売されたあのゲームについて語らないことを意識して文章を書きました。

インターネットのやばいやつミームは元をたどると大体ここに行きつくと言われているビッグコンテンツ、ポケモンです。

発売一週間で様々なことが起こり賛否否否みたいな状況ですし褒められない要素が多いのは確かですが、あのゲームが過剰に求められて作られたという事実は変わりません。

私はリメイク元があまり好きではないので良いところ再発見の心でゆっくりやっていますが、散々求めていた連中が買わずにリメイク元やった方が良いだの言っているのには同情しますね。

今作もリメイク元も褒められない要素が多いのは本当に、本当に確かですが。

とにかく今は耐えるんです。語れば語るだけ損なので。

 

人間が嫌い~~~~~~

ずれた論点や極端な論争。気持ち悪いものは対消滅して全部滅んでくれと思いながら耐えて、耐えて、人間への憎悪でタービンを回そうね。

それでは、そあれでした。

 

 

 

 

雑記夜行

 

10月が終わりますね。

街を彩る金木犀の香りと金木犀の香水の香りにも慣れた頃でしょうか。

そあれです。

 

秋の風物詩ってもう金木犀しかないらしい。

私も金木犀は幼き頃から身近にありましたし香りの共感が得られやすいのもウケている理由な気がします。庶民なのでバラの香りとか言われてもあんまりピンとこないんですよね。

庶民なので花の香りは金木犀と死んだ人に供えるやつしかわからない。

花の香りってほぼ墓の香りなので死を纏うことにはリラックス効果があるのかもしれません。思えば半身浴とかヨガとかにも拷問の要素があります。

やっぱりmax落ち着いた状態って死だから死に近づくことで平穏が訪れるってことなのかな。

煙草を吸って体に害を取り入れることでアレルギー耐性を上げるとか錠剤を噛んで飲むことで消化と吸収を早めるとか。

長期で体に悪いことは短期で体に良いみたいな話。

昔落ち着く方法で首を絞める(太い血管を圧迫することで心拍数が下がるため)って言ってちょっと怒られたのを思い出します。

 

どうでしょう。

日本に雌株が存在しないためにそのままだと死に向かうしかない金木犀について思い当たることがありますよね。

もし接ぎ木や挿し木がされなくなったら種として存続できないということは?

そうです。人間の生活に似ていますね。

金木犀もまた自ら死にゆくことでいま穏やかに咲いているわけです。

香りによって人間を惑わせて生きている植物に言動によって社会を惑わせて生きている人間が心惹かれるのは何かの因果なのかもしれませんし、あるいは「植物に学ぶ生存戦略」みたいな話かもしれません。

 

さて、私はいまなんかそれっぽいことを書いて読者を惑わそうとしています。

金木犀の状況を作り出したのは他でもない人間ですしこの例は愛玩動物でも何でもいいので。

死に脱線した話をどうやって金木犀に戻そうかなという考えだけで書かれた文章。

もしこれを読んでなんかそれっぽいなって思った方がいたら陰謀論とか気を付けたらいいと思います。

 

 

なんで何かを語るときって気が付くと死の話題になっているのでしょうか。

先月もたくさん死について書きましたし日頃からTwitter等で死を発信している自覚があります。

なのにまだ語りつくせない。次から次へと私に死が降りてくる。

多様な権利や価値の尊重が叫ばれる現代では死生観なども日々更新されますし私自身尊重しようと言われている側に半身、みたいな人間であるせいかもしれませんが。

まあ私は死の話が趣味みたいなものなので別にいいです。

ただ幼子たちにはまだ死を考えないで生きてほしいですね。切実に。

私は私がした何かが将来その子の負担となることに怯えています。幼子って言ってるのも男の子とか女の子とかくんとかちゃんとか言って曖昧な性自認に影響を残したくないからです。

これからの時代、どんどん生きるのが難しくなるので今のうちに死と死以外についてよく考えておきましょう。まだ間に合うかもしれないし、間に合わないかもしれない。

 

 

また脱線してきたので今月は終わりですね。

今回は広げた風呂敷を雑にたたむことができてよかったです。最初に金木犀って書いたときにはこんな文章になるとは思ってなかった。

全ての道がローマに通じているように、全ての話題は死に通じているのかもしれません。トロッコ問題みたいなイメージ。

死の話って良く言えば全生物に共通するあるあるネタなので友人との話題に困ったら死生観バトルをしてみてください。

最強の死生観を決めるのは、キミだ!

toy.bandai.co.jp

 

 

それでは、いつか貴方の迎える死が穏やかであることを願って。

そあれでした。