私ではない皆様、どうもです。
去る2月28日。私は誕生日だったわけですが、冬の終わりに生を享けた私は春なのではないかと、ふと思い立ちました。例えばふわふわと現世を彷徨う様は綿毛、ではないですね。ほぼ埃です。今日も部屋の隅でここぞとばかりに過ごしています。
私事ですが適応障害と診断されて仕事を休職しており、少しの間はより一層部屋の隅で暮らすことになるでしょう。
できるだけ外に出たいナア、でも薬飲むと注意力落ちるし不安もあるナア。ということで、一旦以前行ったお散歩の記録をまとめることにしました。
~~~お散歩の記録~~~
@気力があったらアイキャッチを描いて入れる@
@↑気力なかったです@
この日のお散歩ルートはこんな感じでした。
たまたま聖蹟のあたりにいたので聖蹟桜ヶ丘駅から近くの公園を回ろうと計画。あとは私の人生とは交わっていないけれども、ここから物語を始めた友人が複数いるバス停が近くにあったのでそこにも行きました。
(永山五丁目のバス停。ゲーム「アイドルマスター シャイニーカラーズ」で、プロデューサーが浅倉透さんと出逢う場所らしいです。)
大体12kmくらいのお散歩ですが、このあたりは色々な作品の舞台なのでなんでもない場所にも見覚えがあって楽しかったです。
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ここからは今回のお散歩で見つけた良いものたちを写真で振り返ります。文章は数週間後に写真から読み取った当時の私の思考を脚色して書いています。
まずはこちらです。
なんですかねこれ。下の部分が回るので回転遊具の軸かなと思ったのですが、軸だけ残す?という疑問があるのでこういう遊具かもしれないです。
子供の頃の真っ直ぐな目をした私なら、これをどう使って遊んだでしょうか。小学校6年生にして滑り台のブームが来ていたあの頃なら、この問題に解を与えられたかな。
全力でブランコを漕ぐ人の動画とともに「これお前ですか」と妹から連絡が来るくらいには公園の遊具が好きな私ですが、これは童心の活性化によって私の枯れた生命が少し潤うような気がするからです。
よく分からない遊具に知育欲が刺激され、偶然にも老化を回避するという一般的なお散歩の目的も果たすことができて良かったです。
続いてはこちらです。
"もえるもの" と書かれた植木です。ベンチを挟んで反対側に "もえないもの" もあったので多分ゴミ箱の転用なのかなと推測しますが、植物を萌えるものと表現することになっていてちょっとお洒落です。萌えないものとされてしまった方の植物も空間が捩れるようで良いですね。
ピクシブ百科事典には「萌え禿げた」という言葉が載っています。
栄枯盛衰が一語中にまとまっていて面白い言葉だなと思っていましたが、似た用例に現実で出逢えて嬉しかったです。
死んでいないだけで別に生きてもいない私の状態にも似ていて、空間と私の浸透圧が等しいような、精神のスポーツドリンクみたいな、そんな感じがしました。
続いてはこちらです。
これから自然に還ろうとしているベンチです。明らかに埋まりすぎているので使われていないということが見て取れます。
数千年後このベンチが発掘されたとき、当時の生活様式が分かる遺構の一部だと判断されると思いますが、実際は使われていないので一部間違った歴史が後世に伝わることになります。
実際の遺跡にもこういう例はあるんだろうなと思います。マチュ・ピチュとかも実は全く使われていない、義務で作られた小さい公園みたいな存在だったかもしれませんね。
よく分かっていない物事には好き勝手言っていいの精神で生まれた言説がこの世にはたくさんありますが、完全な間違いではないよと後世の人に伝えるような気持ちで少しだけ座っておきました。
最後はこちらです。
行き止まりの階段です。多分工事か何かで塞がれているだけだと思いますが、そうでなかったら本当に意味のない場所です。
行き止まりの道は示唆に富んでいて面白いですね。区画整理失敗したのかなとか、私有地のトラブルがあったのかなとか。世界のうまく回らない部分を身近に感じることができて好きです。
私の脳がよくエラーを吐くように、人間1人でも成り立たないのに世界が成り立つ訳もありません。あらゆる物事が失敗しているのに不思議な力でなんとかなっているように見えている、行き止まりの先には陰謀論の入口がありました。
論理を飛躍させながら階段を降りてみますがやっぱり何もありません。もし世界に不思議な力があるのなら、マリオ64のあっちっちさばくの入口みたいな、何かあるタイプの行き止まりもどこかにはあってほしいです。
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以上です。撮っていた写真はまだまだありますが、考えないと文章が出てこなかったのでこのくらいで。この日記は脊髄から出た言葉だけをまとめています。
最近は暖かくなってきたのでまたお散歩に行きたいですが、病気の影響か体力が落ちているようで少し行動するだけで疲れてしまいます。
今にして思えばここ一年くらい実害あるタイプの体調不良が続いていたのもずっと適応障害入っていたのかなとなるので、一年分の疲れを受けているような気がします。世が平安時代とかなら呪いとして扱われていたでしょう。
なので一応元気ではあるのですが、憑き物が落ちるまでは社会的意義のないことをしながらゆっくり休ませてもらいますね。
(元気橋の写真)
(落ちていた憑き物の写真)
それでは、私でした。