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そあれです。
今年も失ったものの多い一年でしたね。資産決済に関する法律第二十条第一項に基づいて補填してほしい。
払戻し申請フォームはどこですか?
一年間お疲れさまでした。例によって一年を過ごした実感はないですがこれが一年分の疲れだと言われたらそんな感じはしますね。
生きた年月が長くなるにつれて疲れでしか自分の行いを認識できなくなっていくんだろうなと。自分のやっていることの正しさも面白さも、すべての判断ができなくなって、ただ体に残った疲労だけで安心して眠るようになって。
疲れていない状態に不安が止まらなくなって自ら混沌に身を置いて、笑顔のまま過労で死んでいくんだろうなと、そう思います。
こうなるのが怖くて仕方ない。
例えば私は自分の思考について、ある程度の信頼を持っています。世で活躍する表現者様方と比べれば劣りますが、それでも豊かな世界を持っていると、そう思っています。
そして自分が現世を生きている実感をはっきりと持つことができていない現状、私の存在を証明できるものはこの世界だけなのです。
思考を止めてしまったら、私は
とまあ自我の崩壊って結構身近にあるんですよね。
死が怖いのも自我があるからなので自我の崩壊には死より上位の恐怖があるはずです。
なのに疲れを感知して動いているだけの状態って自我がないことが良しとされているんですよ。もしかしたら死を超越した超上位存在になったということなのかもしれないですけど。
いや怖すぎるって。
私という “全体” から思考や肉体などの “部分” が切り離されている状態、切断した四肢はもう四肢ではないみたいな話が人間で起こっているんです。
もし全体が部分の総和に過ぎないならすべてが虚構・名前だけの存在で、この世に実在するものはひとつもないというメレオロジー的なニヒリズムが、不定形な世界で実在しないものが動いているという状況が、いつの間にか肯定されているかもしれないということです。
なんかもう私の存在がどうとか小さい話に感じてきましたね。
もしかしたら人権活動家が求める平等ってこれか?
今月は以上ですね。
先月の文章が軽かったので今月は少しだけ重くしてみました。やっぱり年末から新年にかけて起こる事象といえば体重の増加ですから。
毎年正月太りという言葉を聞きますが、正月って食べなければならない場が存在するので太るやつが悪い論は3割くらい違う気もします。クリスマスを持ち込んでいたら1割になりますが。
年明けの瞬間逆立ちしていたりジャンプしていたりする人の真実も多分ダイエットだと思うんですよね。あんなに使い古された儀式をおもしろでやっているわけがないので。
一年の計は元旦にありなんて言われている中おもしろであれをやっている人がいるとすればそれは一年間滑り続ける覚悟を決めた猛者です。
まだ早い。簡単に一年を棒に振るのはよくないと思う。
良いお年をお迎えくださいって言うけど良いお年を迎えられるかどうかは結局当人の努力次第ですから。良いお年をって言ってくれた人の顔に泥を塗るような行為をしていると自覚しながら年明けの瞬間にジャンプするならいいです。
年明けの瞬間は一緒に謝罪をしましょう。森羅万象に謝罪をして今年の禍根をすべて祓った状態で来年に向かえるように。。。
社会に出てもずっとこういうこと言ってたいので2022年も私をどうぞよろしくお願いいたします。
それでは、そあれでした。