10月が終わりますね。
街を彩る金木犀の香りと金木犀の香水の香りにも慣れた頃でしょうか。
そあれです。
秋の風物詩ってもう金木犀しかないらしい。
私も金木犀は幼き頃から身近にありましたし香りの共感が得られやすいのもウケている理由な気がします。庶民なのでバラの香りとか言われてもあんまりピンとこないんですよね。
庶民なので花の香りは金木犀と死んだ人に供えるやつしかわからない。
花の香りってほぼ墓の香りなので死を纏うことにはリラックス効果があるのかもしれません。思えば半身浴とかヨガとかにも拷問の要素があります。
やっぱりmax落ち着いた状態って死だから死に近づくことで平穏が訪れるってことなのかな。
煙草を吸って体に害を取り入れることでアレルギー耐性を上げるとか錠剤を噛んで飲むことで消化と吸収を早めるとか。
長期で体に悪いことは短期で体に良いみたいな話。
昔落ち着く方法で首を絞める(太い血管を圧迫することで心拍数が下がるため)って言ってちょっと怒られたのを思い出します。
どうでしょう。
日本に雌株が存在しないためにそのままだと死に向かうしかない金木犀について思い当たることがありますよね。
もし接ぎ木や挿し木がされなくなったら種として存続できないということは?
そうです。人間の生活に似ていますね。
金木犀もまた自ら死にゆくことでいま穏やかに咲いているわけです。
香りによって人間を惑わせて生きている植物に言動によって社会を惑わせて生きている人間が心惹かれるのは何かの因果なのかもしれませんし、あるいは「植物に学ぶ生存戦略」みたいな話かもしれません。
さて、私はいまなんかそれっぽいことを書いて読者を惑わそうとしています。
金木犀の状況を作り出したのは他でもない人間ですしこの例は愛玩動物でも何でもいいので。
死に脱線した話をどうやって金木犀に戻そうかなという考えだけで書かれた文章。
もしこれを読んでなんかそれっぽいなって思った方がいたら陰謀論とか気を付けたらいいと思います。
なんで何かを語るときって気が付くと死の話題になっているのでしょうか。
先月もたくさん死について書きましたし日頃からTwitter等で死を発信している自覚があります。
なのにまだ語りつくせない。次から次へと私に死が降りてくる。
多様な権利や価値の尊重が叫ばれる現代では死生観なども日々更新されますし私自身尊重しようと言われている側に半身、みたいな人間であるせいかもしれませんが。
まあ私は死の話が趣味みたいなものなので別にいいです。
ただ幼子たちにはまだ死を考えないで生きてほしいですね。切実に。
私は私がした何かが将来その子の負担となることに怯えています。幼子って言ってるのも男の子とか女の子とかくんとかちゃんとか言って曖昧な性自認に影響を残したくないからです。
これからの時代、どんどん生きるのが難しくなるので今のうちに死と死以外についてよく考えておきましょう。まだ間に合うかもしれないし、間に合わないかもしれない。
また脱線してきたので今月は終わりですね。
今回は広げた風呂敷を雑にたたむことができてよかったです。最初に金木犀って書いたときにはこんな文章になるとは思ってなかった。
全ての道がローマに通じているように、全ての話題は死に通じているのかもしれません。トロッコ問題みたいなイメージ。
死の話って良く言えば全生物に共通するあるあるネタなので友人との話題に困ったら死生観バトルをしてみてください。
最強の死生観を決めるのは、キミだ!
それでは、いつか貴方の迎える死が穏やかであることを願って。
そあれでした。